「少林寺拳法を始めたきっかけ」と「6級昇級試験について」を掲載しましたが、「少林寺拳法の考え方・あり方」について感心したことがあります。
格闘技術だけではなく精神面を重要視している所に感銘を受けました。
先生方が人格者であるのが納得しています。もちろん人ですから、色々な側面があって、人間関係の中で人との接し方は様々に変わって来るのでしょうけど、それを理解したうえでも「何かわきまえている」ものを持っておられるように感じています。
ここからは、教本から私が印象に残った内容に対して、感じたことを加えてえ進めたいと思います。
「本当の強さ」の意味
「本当の強さ」やはりこれは重要視している内容と感じます。
「相手を倒す」「相手に勝つ」「影響力を与える」といった相手に対して、上に立つとかイニシアティブがどうかということではなく、自分自身に向けられる「強さ」の意味を考えさせられます。
「自分を大切にするため」の考え方として、身体や精神の安定を保つため「いやなことはいや」「悪いことは悪い」とはっきり言える勇気とそれをやめさせることができるための強さが必要と教本には書かれています。
私はこの精神の安定を保つための能力や勇気が養われたら強い人間になれると思いました。
なぜなら、一般社会で生きていく中で、もっと具体的に言えば人とかかわる中で、「いやなことはいや」「悪いことは悪い」と言えない場面が多々あるからです。これは周知の事と思いますが。
私の職場ではベテランになっていくと、また管理職になると自分自身でやる業務と、スタッフに任す業務の割合は、後者の方が増えてきます。
仕事を任す、仕事を振る、依頼するといった作業にさほど難しさはありません。個人のスキル、仕事量、立ち位置は客観的に判断できますから。
しかしコミュニケーションを重ねていく中で、個人の意向やわがまま、嫉妬のような気遣いを受けて「いやなことはいや」「悪いことは悪い」と言えなくなる場面が出てきました。加えて昨今のハラスメント問題が見え隠れする。
仕事を受けてもらわなければならないから。やってもらわなければいけないから。ほかに任す人材がいないからお願いする。自分がやった方が上手くいくとは言い切れませんが早いのに。
ハラスメントに気を使い、スタッフの意見、様子を見ながらコミュニケーションをとっていく。
こんな毎日です。私の弱さに問題があると感じていますが・・・。
注意する時は正当な理由をわかりやすく明確に伝える。矛盾しない内容で結果を整理し、自分の経験や知識・技術を加えながら説明する。理解を促す。
他者を気遣い、気にしてスマートに振る舞うことに集中している自分に少し嫌気を感じているのも正直なところです。
少林寺拳法の修行を通して「本当の強さ」を身につけられるのではと。
「うぬぼれでない自信と勇気と行動力を持つ」→「よりどころとなる自分」
「己れこそ己れのよるべ」と・・・。
世代によっての違い
私の20代から30代のころは、物事の判断に白・黒・グレーがあって、色の行き来は当然のようにありましたね。上司からの情報も指示も判断も圧が強かったし、精一杯反発しましたが、かなりの勢いで押さえつけられました。
そこで、今では簡単に解決するようなことでも、どうしたらいいかを真剣に考えたり、発明したり、不得意を抑えて取り組んだりした記憶があります。
この感覚を共有できるのは、私の印象では私の年齢の5歳前後ぐらいかなと感じています。
それより若い年代はまず「怖がり屋の印象」、慎重派が多い分優秀な人材は多いかな。10歳離れたスタッフでもこんな感じかなと思います。
20歳ぐらい離れた年代は、「慎重に加えて未知のことに対しては不安が強い」と感じました。「このくらいまで」と範囲を決めてその中できっちり仕事をこなしていくスタイルが見受けられました。
それより若い子たちは、現実派と言いますか、地に足がついたスタッフを見受けます。そのせいなのか、仕事内容に対する考え方が「要点や結論から知りたい」、「得意なスタッフが率先してやった方が効率的」といった合理的な意見や反応に遭遇したことが印象的ですね。
あくまでも私の主観であり、私の職場にいるスタッフの特徴で、年代別に客観視した感想ですがね。
いずれにせよ、こういった若手から中堅のスタッフに管理職として仕事を任したり依頼する際に、注意するのは、やはり正当な理由をわかりやすく明確に伝える。矛盾しない内容で結果を整理し、自分の経験や知識・技術を加えながら説明する、理解を促すことに意識しなければならないと考えています。
そのためにも自信と勇気と行動力にみがきをかけたいです。「本当の強さ」ですね。
少林寺拳法の修行のあり方
道場での心得というものがあります。修行をしているって、自分を律している様な、なんかいい感じと思いませんか。
➀脚下照顧・・・自分自身をかえりみる。➁合唱礼・・・互いに人として尊厳を認める。③作務・・・日常生活に必要な作業を軽視しない。④服装・・・清潔な身だしなみ。⑤態度・・・学ぶ気持ちを形にする。⑥言葉・・・それは話す人の人格である。この6つを心得としています。
この中でも私が特に気に入っている心得として、脚下照顧、言葉です。
脚下照顧とは、修行の第一歩として自分自身を見つめることから始まると言われています。自己を見つめ省み自己の内に真理を求めるとの意味があります。自分の弱さや狡さを感じながら、でもそれに支配されないよう抗い続けられるようにしたいと思っています。
言葉には「響き」があると言われています。その「響き」こそ話す人の人格であり態度と共に大事な事とされています。「言葉はあなた自身を表します。正しい言葉、相手に敬意を持った言葉を心がけましょう」とされており共感しています。
技術習得の心得は入門してから
少林寺拳法の技を習得するための考え方(心得)は入門してから学びました。そして学びは続きます。
動いて体の動かし方を教わってから、教本に振り返ってみる作業を繰り返すことを勧められ、しっくりきました。
心に留めているのは「なぜ私は少林寺拳法を修行しているのか」。
健康な体と健全な精神とのバランスのとれた人間を目指すという修行の目的をはっきりとさせることがベースにあると教本は伝えています。
私は「拳禅一如」という言葉が好きです。
常に体調を整え、気持ちを落ち着けて何事にも取り組み最大限の能力を引き出せる状況を作る努力をしていきたいと思っています。
「強さ」とは何か。 少林寺拳法創始者・宗道臣70の言葉 (文春新書) [ 宗 由貴 ] 価格:825円 |
「すべては人の質にある」を実践されている方々だからこそ先生をなさっているんだと納得しました。
我が家は親子でお世話になって良かったと思っています。